ぼくには巨乳の良さがわからない。巨乳といっても、別に常軌を逸するような大きさの話をしているわけではなく、おそらく普通の人間が性的好奇心を抱くようなレベルの巨乳の話である。その良さが僕にはわからない。
そもそもぼくはスレンダーなひとの方が好きだ。ただし、これは巨乳に対して特別惹かれないだけだと考えていたのであって、別に良さを理解できないだとかそういう意味合いを持つものではなかった。はずだった。しかし、最近になってそのレベルでは収まらないことに気がついた。
きっかけはTwitterを見ていた時に見つけたある動画である1。そこで流れてきた動画を見た時、そこに映っていたのは巨乳の女性の動画だった。なにかの冗談かと思った。ぼくが抱いた感情がそれだけだったことに気がついたとき、ぼくは自分自身に対して愕然とした。たしかに目の前に映っているのは(おそらくは世の大多数の)男性の性的興味をそそることを目的として撮影された動画である。しかし、ぼくにはそれがギャグかなにかとしか認識できなかった。
それからというもの、そのたぐいのものを見るたびにメタ認知能力を駆使して自身の感情を分析することにした。幸いなことにぼくはVRChat2をしているため、巨乳を見る機会には事欠かない。しばらくたってわかったことは、やはり最初と同じだった。ぼくはもはや大きな乳房を性的なものとして見ることはできない。ぼくにとってのそれは面白いものだとか研究対象だとかそういったカテゴリに分類されてしまっていた。
もちろん、貧乳好きというのは一定数存在する。しかし、ぼくはその度を越してしまった。そう考えた時、ぼくが感じたのは孤独への恐怖だった。この感性をもつ人はおそらくほとんどいないし、いたとしてぼくがそれを分かち合う機会はない。ロリコンと呼ばれるかもしれないが、ぼくは厳密にはロリコンではない3。ここまで読んでくれた諸兄にはこの記事自体が面白さを目的として書かれたものだと思っているかと思う。しかし、ぼくはこれをかなり深刻にとらえている。どのような分野であれ、孤独はこわい。