私にとっての「終末」

あなたが「終末」という言葉から抱く印象はどのようなものだろう。信じるものが救われ、信じない者が罰されている様子だろうか?死の灰が降っていて、文明が後退した様子だろうか?

私が抱く印象のピントはとても近く、身近なところにある。 ものが足りなくなって補充ができなくなる。日を追うごとにできることが少なくなる。 諦めなければいけないことが多くなる。何が正しいことで、何が正しくないことかが変わったり、わからなくなる。 親や友達が苦しんでいて、しかし自分も苦しく、助けてやることができない。 明日、ごはんが食べられるかわからない。1年後、自分がどうなっているかわからない。 自分がそういった状況に直面するのが「終末」だと私は考える。

ここで、赤の他人がどうなっているかは気にすることではない。 金持ちや科学者が地球を脱出しているかどうかで世界が終わりを迎えているかどうかに重大な差があるだろうか?

…考えてみると、これは今私に起こっていることだ。

日用品はまだ手に入るが、現にDDR5メモリは足りなくなっている(そんなことがどうした、という人もいるかもしれないが、ここ十数年の私の最重要トピックはコンピュータだ)。 また、石油製品がこの先合理的な価格で供給され続けるかどうかについても心配だ。そもそも手元にあるこの金で数年後にどれだけのパンが買えるのだろうか?

ソフトウェア開発におけるAIの登場はゲームチェンジャーであったと同時に、私のようなタイプのプログラマーは居場所をなくした。 そのために私はソフトウェア業界で生計を立てるのを諦めかけているところだ。

私の性癖(については以前のエントリで触れた)は即座の否定が許容されうる対象になった。 迫害の対象にならないよう世界の隅に居るしかないし、それがいつまで続けられるかもわからない。 一方で世では多様性、多文化共生が叫ばれており、それはどうやら正しいことらしい。 ただ、私は多様性の一つではなかったために正しくないだけなのだろう。

友達のメンタルヘルス上の問題も心配だ。 複数の友達が自分の境遇を嘆いていて、私はそれに共感することはできるが解決策を何一つ持っていない。 私がかれらにできることはせいぜい話を聞いてやることくらいだが、それすらも難しくなってきている。

もし明日、差し押さえがあったら?もしも知らずのうちに違法、あるいは不法な行為をしていたら、あるいは金持ちの気分を害していて、訴訟を起こされたら? 事業を行う身にとって、金が多いか少ないかは明日を保障する指標にならない。

世に言うキャリアプランというものを私は持っていない。1年後にそもそも大学を卒業しているかどうかすら怪しいし、生きているかどうかもわからない。

私にとっての終末は既に始まっている。たぶんTwitterの見過ぎだろう。

Licensed under CC BY-NC-SA 4.0
Hugo で構築されています。
テーマ StackJimmy によって設計されています。